梅田和子さん(92)=大阪府高槻市=は、一つのチョコレートの味が忘れられない。
長さ15センチほどの筒状で、「菊の御紋」のマークが入っていた。
「一口食べるとカッと体が熱くなりました」
何だろう。何か入っている。
通学中も防空壕へ潜る日々
「戦争だけはしたらあかん。アメリカと戦争したら日本は終わりや」
それが父の口癖だった。
弁護士だった父を訪ねて、新聞記者や軍人がいつも家にいた。日米開戦反対派として知られた野村吉三郎元海軍大将とも交流があった。
小学5年生の時、第2次世界大戦が始まった。
町中での暮らしは危険だと判断した父は、梅田さんと祖母を大阪市から現在の高槻市に疎開させた。一家での疎開は当時、「非国民」とみられていたからだ。
高槻市から毎日、大阪市内の学校へ通った。国民学校を卒業すると、大阪城近くの府立大手前高等女学校へ進んだ。
米軍による空襲が激しくなると、通学中に何度も防空壕(ごう)へと身を潜める日々が続いた。
学校の周辺には、東洋一の兵器工場と言われた陸軍砲兵工廠(こうしょう)があり、中部軍管区司令部などもおかれていた。
「こんな危ないところには通わせん」
「兵隊さんに送るチョコレート」
当時は転校が難しかったが…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル